ソウル・フラワー・ユニオン「満月の夕」

沖縄民謡チンドン河内音頭江州音頭
といった要素に、アイリッシュ・トラッドの要素をブレンドして
質の高い作品をリリースしていた
1990年代の、ソウル・フラワー・ユニオン。

そのソウル・フラワー・ユニオンの作品の中でも
特別な位置にある曲が、

「満月の夕」

マージナルな音楽的な要素への関心から、聴き始めたわたしには、

曲の持っている本質的な部分がまだ見えてはいなかった…

80年代から、前身の2バンド
ニューエスト・モデルメスカリン・ドライブは知っていたし、
ニューエスト・モデルについては、
1990年の『クロスブリード・パーク』など、
歌われるテーマも、アイリッシュトラッドをうまく消化した音作りも好きだった。

また、阪神淡路大震災以降の
モノノケサミットとしての95年の『アジール・チンドン』も、
チンドンというジャンルで捉えて愛聴していた。

しかし正直、ソウル・フラワー・ユニオンには、
あまり好印象を持っていなかったのは事実。
どうしても “政治バンド” “左翼系バンド”
というイメージが先行し敬遠していた。

たまたま、聴いた『ハイ・タイド・アンド・ムーンライト・バッシュ』
という99年のライブ盤で、アイルランドイースター蜂起を唄った
「霧の滴(FOGGY DEW)」を、中川敬が歌うテイクを聴いてから、


竹田 賢一氏のA-Musikに通じるものを感じ、
少しずつ聴き始めることになる。

日本での政治色の強い音楽と言うと、
どうしても思想ばかりが強調されたツマラナサが付きまとっていたが、
海外の民衆の抵抗歌には、なぜか素直に引きつけられるパワーを感じていた。

1994年の2枚目のアルバム
『ワタツミ・ヤマツミ』

「もののけと遊ぶ庭」

モノノケ=稀人 と言う、中上健二的解釈も見え、
音的にも、ノイジーでアヴァンな曲調
チンドン・沖縄・河内音頭 
と言った要素が満載のパワーチューン!!

「レプン・カムイ」

アイヌウチナンチュと言った先住民文化をテーマにしており、
アイヌの海の神レブン(沖にいる)カムイ(神)
を讃える祭り囃子の様な曲調に、
征服者としてのヤマトンチュ(日本人)の誤りも潜ませている。

「アイヌ・プリ」

喜納昌吉とチャンプルーズのカバー。
同じくチャンプルーズの90年のアルバム
『ニライカナイ Paradise』の収録曲「ガイア」から、
アイヌ語(少々アヤシイ)のフレーズも入れ込んでいる。

わたし自身は、このアルバムを、
マニアックな音楽的嗜好だけで聴いていたわけだが、
もしかしたら中川自身も、このアルバムまでは、
実体験を伴わない
知識思想観念先走っていたのかもしれない。

阪神淡路大震災と「満月の夕」

1995年1月17日

阪神淡路大震災の際に、
最も大規模で悲惨な火災に見舞われたのが
神戸の西、長田区の一部

高速長田駅から板宿駅の間のその地区は、
被差別部落の人達韓国・朝鮮籍の人達
当時はそれに加えて不法滞在の外国籍の人達
という人種のるつぼの様な地域

(株式会社)神戸市は、再開発に着手するために、
(神戸の暗部を都合よく始末する為に)
その一帯の火災を、
燃えるに任せて放置したと言う噂まで有った。

中川敬・伊丹英子とソウルフラワーのメンバーは、
被災地に手弁当で駆け付け、
ソウル・フラワー・モノノケ・サミットとして、
マイクの代わりに拡声器を使い、
生音の楽器のみで演奏していたという。

善意の押し売りのボランティアでは無く
もちろん “ロックバンド” としてでも無く
普通の “楽団のニイチャン達” として、
被災地の、普通のオッチャン・オバチャン達に接しながら、
“楽団” として、できることをやるだけというスタンスで

たぶんその現場には、
差別も、偏見も、偽善も、奇麗事も、政治も、思想も何もない
いや、入り込む余地すら無かったのかもしれない。

そんなものをすべて取っ払った人と人の繋がりの中で生まれたこの曲
(実際にはヒートウェイブの、山口洋が主旋律を作曲し、山口版の歌詞も作られていたものを、
中川が、現場の温度感で改作したもの)

翌年の長田神社で、地元の被災者の方達の前で演奏されたこの曲の映像を見て、

わたしは、涙が止まらなくなってしまった。

実は、わたしの実家は、その長田区に在った

東京に来てから、
「ご出身は神戸のどちらですか?」と、聞かれるたびに、
長田と言うのに抵抗が有り
「西の方です」と、ごまかしてきた。

大阪の西成と言うと、
「ガラのええとこでんなぁ」笑いで流す事ができるが、

神戸の長田は、もう少し意味合いが違った。

わたしの育った時代には、
部落や韓国・朝鮮系への差別が、まだ根強く有った。

長田でも特に、被害にあった地域には近付くことも敬遠されていた。

子供のころは、周りにも部落や韓国・朝鮮系の子たちもいて、
正直に言えば、

わたし自身も彼らを差別していた。

個々人の人間として魅力や尊厳を、
この国と、その “一般の国民” であった、わたし自身が、
自分たちの生活の調和を保つ為に、

意識的に作り出した “格差” に依って
捻じ曲げてしまっていた。

直接的な人と人の繋がりだけが救いとなる
震災と言う極限下に置かれてようやく、
そんな下らない意識は払拭されたのかもしれない。

火災で家も家族もすべて無くした韓国籍のオバチャンは、
得体のしれない中川達の “楽団” の “唄” を聴く事で
それまでボランティアとして必死で周りの世話をすることで
押さえ続けていた “涙” を、初めて流すことができたと言う。

仮設の非難所で、
「しょうもない事したら、ただではおかん」と、
日本刀をちらつかしていたと言うオッチャンの心まで
動かしてしまったと言う、中川達の “唄” 。

その時、その場に有ったのは、
生の人と人の繋がりだけだったんだろう。

自分自身の偽善、偏見、特権意識 なんてものを
すべて認めたうえでも、
優しくも力強くも、そして無性に悲しくもある。

とにかくこの曲を聴くたびに感じる

この感覚はなんだろう?

この曲が「なぜこんなに心に染みるんでしょう?」
というアナウンサーの、月並みな質問に

「それは解らない…」

と、真正直に荅える中川。

それでいい!!  いや… それがいい!!
そんなもん…解って歌ってたら、ほんとに心に染みる訳がない!!

だから、わたしも中川の言葉を借りる。

それは解らない…」

美声でもなく、美しく歌う訳でもない、
ガラッパチな中川の歌声。

突然はやしたてるチンドン。

そんなこの曲を聴くたびに、
そして、こんな事を書いている今も、

「なんかわからんが、
 涙が止まらん!!!」

ちなみに、今では出身地を聞かれても、胸を張って 
「神戸の長田です。」と言える。

でも… ちょっとカッコつけて
「長田の山手の方です。」と言ってるかもしれない…
(山手…って?? 単に山の中やないか!!)

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