関西No-Wave おまけ… ハッピーバンド

79年から80年当時、
変身キリンのメンバーで、
わたしの通っていた大学で、
サークルの後輩として知りあった
須山公美子

変身キリンと並行して、
80年から81年初頭にかけて、
わずか半年足らずの間

自身のバンド、
ハッピーバンドとしても
活動していた。

最初のライブは、
本田久作君も参加した、
変身キリンの別ユニット
の様な形だったはず。

その後、須山公美子は、
自分のバンドとしての
ハッピーバンド
メンバーを集める事になる。

ギターには、
当時、JamThe Whoをカバーしていた
モッズ・バンド、The Parkから、
と言うか… 
たまたま同じサークルにいた南部君。

彼は、見た目もポール・ウェラー似で、
使っていたギターも、リッケンバッカー

ドラムには、
やはり同じ大学の、近藤君。

そして、ベースが、
わたし…

須山のオリジナル数曲と、
本田君の曲「馬のヘンリー」等の練習を、
80年9月20日に決まった、
尼崎のピッコロシアターでのイベント
“パーティー イン セプテンバー”
に向けて開始した。

“パーティー イン セプテンバー”
は、本田君と須山が中心になって
企画したイベントで、

変身キリン
UP-メーカー
リラダンス
BOX(ボツクス)
ハッピーバンド

の5バンドが出演。

わたし達ハッピーバンドは、
いつもは須山家のリビングを、
お借りして練習していた。

結構大きな音を出していたはずだし、
御両親には、大変ご迷惑な事だったと思う。

阪急沿線の小さな練習スタジオも、
たまに使っていたかもしれないが、
一度だけ、
大阪の本格的なスタジオを借りた覚えが有る。

その日は、練習が終わった後、
後片付けに手間取り、
レンタルの時間を少しオーバーしそうになった。

と…、
「何をグズグズやっとんじぁー!!」
と、次のバンドの男が怒鳴りこんできた。

それが、INUの町田町蔵君。

たまたま須山との面識が有ったおかげで、
その時は、事無きを得たが
「なんか、ヤヤコシそうな奴やなぁ…」
と言うのが第一印象だった。

ある日、そんな練習の帰り、
阪急六甲のダスター池沢氏の住まい兼、
リード・アロー・プロジェクト(LAP)のたまり場
“麻耶プリント” で、
練習のテープを聴きながら、グダグダしていると、

ダスターから、
リザードの9月の “SA.KA.NA 関西ツアー” 終盤に、
急遽、京大西部講堂でのギグが決まったとの話。

たまたま友人のバンド “AIR(エア)” が、
オープニング・アクトとして
ツアーに同行する事になっていたが、
西部講堂では、もう1バンド追加したいとの事。

で、ダスターの口から出た言葉が、

「あっ、そうや! お前ら出ぇや」

「はぁ?」という感じである。

須山の場合は、小規模とはいえ、
ライブの経験は有ったが、

わたしに関しては、
人前での演奏経験は、
高校時代のバンドでの、学園祭のライブと、
大学のサークル内のバンドで、
他校のパーティーで演奏したくらい。

若干の不安を抱えながらも、
成り行きで、

“パーティー イン セプテンバー”
の二日前、9月18日
西部講堂への出演が決まってしまった…

実は、わたしは当時大学の4回生。
いいかげんながらも、
就職活動なる物も行っていた時期

西部講堂出演の当日に、
大阪の会社の面接の予定が
バッティング
してしまった。

当日は、なんとか無事に面接を終えた後、
コインロッカーに預けていたベースを抱えて、
リクルート・スーツのまま西部講堂へ駆け込んだ。

さすがに、ダスターからは、
「そんな格好で西部へ来たんは、
おまえが初めてじゃ!」

等と言われてしまったが…

早々に着替えて、
いざ西部講堂のステージへ!!と言う時。

とにかく古い建物なので、
楽屋からステージへ向かう通路に、
床が抜けた部分が有り、
なんと、
わたしは見事にそこに落ちてしまった…

ジーンズの膝が破れて、
膝からは少し血も出でいたが、
「かえってパンクでええやんか」
と、そのままステージへ。

しかし、そこは全くのど素人。

ベース・アンプは、
リザードのワカさん
マーシャルの2段重ねを、
お借りする事になったのだが、

何所にジャックを刺せば良いのかも
解らない状態。

更に、ピックを一枚しか用意しておらず
何曲か演奏し終わった所で、
床に落としたピックが見つからず
ただぼーぜんと立ち尽くす事に。

ようやくスタッフのSさんが、
ステージ脇から、新しいピックを渡して下さり
なんとか演奏を続ける事ができた。

この時も、PA藤井暁さんだったので、
後日、記録の為に録音されたテープを頂いた。

その録音を聴くと、
その部分だけ延々と演奏が途切れてしまっている。

肝心の演奏の方も、
とにかく力任せで音を出すという、
実にいい加減な物。

「ナンシー」と言う曲の途中では、
あまりにもやかましかったのか、
「ええかげんにせぇ!」と、ばかりに、
突然、ベースの音がオフにされてしまっている…

当時のスタッフの皆様。
その節は、ど素人が大変ご迷惑をお掛けし、
大変申し訳ございませんでした…

ちなみに、リザードは、
ギターに元螺旋北川氏が加わった4人体制。

当時のチラシでは、
“SA.KA.NA ツアー” となっているが、
実質、新体制でリリースした第2作
『バビロン・ローカー』ツアーといえるもの。

ステージの後ろには
“無政府” と書かれた横断幕が掲げられ、
以前の、ストラングラーズ・タイプの演奏とは違い
ヘビーでサイケデリックに生まれ変わっていた

この80年の関西ツアーでは、
9月15日の鳥取でのライブが、
2006年になって、DVD
『 Rock’n’ Roll Warriors -LIVE’80-』
としてリリースされている。

客席から撮影された、
ブートレッグ並の画質ながら、
あの当時のリザードを記録した、
唯一の貴重な映像となっている。

手元に残っているチラシでは
9月12日 京都 サーカス & サーカス
9月13日 大阪 スタジオ・あひる
9月14日 京都 拾得
9月15日 鳥取 ブギランド
9月17日 尼崎 ピッコロシアター
9月20日 岡山 長谷川楽器ホール

というスケジュールになっており、
急遽決まった西部講堂の表記は無い。

モモヨ氏のサイトにも、
なぜか西部講堂の日付が抜け落ちているので、
確信は持てないのだけれど、
わたしの手元にある当時のテープには

9月18日 京都 京大西部講堂

となっている。

この日のハッピーバンドの音源は、
後日、2002年になって、
元ミュージツク・マガジン社の
加藤彰氏が編集長を務められていた
『ロック画報』第8号
日本のパンク/ニュー・ウェイヴ特集号の、
附録CDに、なぜか収録される事になる。

発売当時、
須山公美子のインタビューも掲載されている
その『ロック画報』を書店で手に取り、
パラパラと内容を眺めていると、

最後のペーシにCD収録曲の紹介があり、
ラストの曲が… なんと!!

ハッピーバンドの西部講堂音源!?
「969(ナイン・シツクス・ナイン)」

正直、驚きました。
(誰が聴くねん?!)

おそらく、
須山自身が提供した音源だと思われるが…
「もっと、なんか…
別の音源あったん違うかぁー?!」

加藤氏は、
英国ファンタジーからのインスパイア…
とか述べられているが、
実は、969と言うのは、
阪急電車の駅から須山家へと向かう
坂道の路面に書かれていた数字らしい。

『ロック画報』の表記では、
日付が、9月14日
となっているが…
どっちだったんだろう?

80年当時、
関西ツアーの最終日 
と言われていた様な気もするが、

9月14日は、
京都 拾得の予定になっているし??
やはり18日で間違いないと思われる
(昔のことなので確信は持てない)

そして、その直後、
9月20日、ピッコロシアターでの、
“パーティー イン セプテンバー”

実は… ほとんど覚えていない。

リラダンスボックスは、
何となく記憶が有るが、

須山は、変身キリンと掛け持ちだったのか?
小間君達のUP-メーカーも出てたのか?

自分たちのステージの事も含めて、
どうにも、思い出せない…

ただ、西部講堂では演奏しなかった
G.S.のカバー曲
「エメラルドの伝説」の演奏で、
腕が攣りそうになった事だけは
うっすらと覚えている。

そのうえ、別項の
“70年代・関西フォーク~関西ロックシーン ①”
で書いた、芦屋ルナ・ホールと、
この尼崎ピッコロシアターが、
記憶の中でゴッチャになっていた。
(ハッピーバンドは、
芦屋ルナ・ホールには出てません…)

その後、母校の学園祭での
“有刺音群” にも、
ハッピーバンドは出演しているが、
なぜかその時期は、わたしは不参加

その後、ギターの南部君が抜け、
ベースに、
『Les Chansons Qui Filent Du Reve…』

の録音にも参加している西田君が加入。

わたしはギターにスイッチしたが、
元々、ブルースだの、
カントリーだの、ザ・バンドだの、
ブリティッシュ・トラッドだの…
といった音楽を、
聴いてきた人間が弾くギターな訳で…

カントリーっぽいフレーズや、
ロビー・ロバートソン風の
パキパキしたハーモニクス等を弾くと、
須山には、露骨に嫌がられていたけれど、

解散ライブの頃には、
なんとなくアヴァンな感じの
フリーフォームな、

(と言うと聞こえが良いが、
実はムチャクチャな)
ギターを弾く様になっていた。

年が明けて1981年

確か… 1月だったと思うが、
やはり須山本田君主催のイベントが、
大阪、寺田町のスタジオ・アヒルで行われ、
その日が、
ハッピーバンド解散ライブとなった。

当日の出演者は、
はっきりと覚えていないが、

後にラフィン・ノーズに加入する、
PONのバンド ナシ(NASI)

INU西川成子さんの妹さんのバンド

あと、頭士奈生樹君か、
イディオット君も出でいた様な記憶も有る。
(かなり記憶があやふや…)

そして、特別ゲスト枠で
友部正人さん!!

友部さんの出演は、
本田君のオファーで実現したらしいが、

中学生の頃に初めて聴いた、
「大阪へやって来た」に衝撃を受けた、
わたしにとっては、
嬉しいサプライズだった。

まさか友部さんと同じステージに立てるとは!!

81年と言うと、
友部正人さんは、
URCに2枚CBSソニーに3枚
アルバムを残した後、

関西のインディーズ(?)
Cube レーベルから、
『なんでもない日には』
79年にリリースされていた頃。

『なんでもない日には』は、
大阪での、春一番コンサートの主催者の一人、  
堰守氏がプロデュースし、

憂歌団島田和夫さんがドラムで、
アイドル・ワイルド・サウス
チャールズ清水さんがピアノで、
それぞれ参加し、

アルバムデザインも、
プレイガイド・ジャーナル等で活躍されていた
日下潤一氏。

実に関西色の強い作品だったが、
パンク、ニューウェイブの波を
経過した後の時期と言う事も有り、

「釧網本線」等は、
それまでの友部さんの作品には無い
ニュー・ウェイヴ寄りの音に仕上がっていた。

83年の『ポカラ』より

80年5月、天王寺野音での
『ヤポネシア80・リムショット1.2』
にも、友部さんは、
『なんでもない日には』製作時のメンバーと
出演されていたが、

刺激的で新しい音をバックにして、
リザード、P-MODEL、INU
等との共演にも違和感が無い、
存在感の大きさを感じさせて頂いていた。

そして、81年のアヒルでは
ソロでの弾き語りにもかかわらず、
思いっきりパンキッシュな
ヴォイス・パフォーマンスとも言えるステージで、
イベントのトリを飾って下さった。

1976年『どうして旅に出なかったんだ』より

話は少し逸れるが、

80年は、
いわゆるフォークと言うジャンルで、
ひとくくりにされていた中でも、
先鋭的な感覚を持った人達と、
パンク、ニュー・ウェイヴ世代の若手との
コラボが目立った年だった

あがた森魚さんは、
80年代のニュー・ウェイヴ・ユニット
ヴァージンVSへの先駆けとなる、
『乗物図鑑』(1980)を、
阿木譲のプロデュースで、
ヴァニティー・レコードからリリース。

Aunt SallyのPhew
INUの北田昌宏
SSの篠田純
Ultra BideのTaiqui

等の関西No-Waveの面々と共演している。

ところで
ハッピーバンドはと言うと…

その頃には既に、
バンド内の人間関係もバラバラになりかけており、
解散と言う事に対しても、
特に感慨も無く、
とにかく最後のステージをこなした…

スッパリと、“ロック・バンド” を切り上げ
須山公美子は、
その後のソロ活動へと移って行った。

85年のゼロ・レコード、カゲロウ・レコードのコラボレーションLP。
ハッピーバンド時代の曲「舟歌」


Lizard
『 Rock’n’ Roll Warriors -Live’80-』
(2006 DVD)

01 ニューキッズ・イン・ザ・シティ
02 モダン・ビート
03 まっぷたつ
04 エイシャ
05 サ・カ・ナ
06 王国
07 ロボットラブ
08 マーケット・リサーチ
09 リザード・ソング
10 ニューキッズ・イン・ザ・シティ
11 モダン・ビート
12 エイシャ
13 サ・カ・ナ
14 王国
15 ガイアナ
16 T.V.マジック
17 ゴム
18 レクイエム

1980.09.15 at 鳥取 ブギランド

19 Original Music Clip
20 Momoyo Interview
21 Special Trailer

友部正人
『なんでもない日には』(LP)
(1980)

A-1 ぼくは君を探しに来たんだ
A-2 彼女と死
A-3 いちばん露骨な花
A-4 なんでもない日には

B-1 釧網本線
B-2 中道商店街
B-3 けらいのひとりもいない王様
B-4 ゼロ
B-5 くつあとのある話

友部正人
『なんでもない日には』(再発CD)
(1997)

友部正人 : Vocals. Electric Guitar. Acoustic Guitar. Harmonica
山岡安司 : Electric Guitar
森田恭一 : Bass
島田和夫 : Drums
渡辺悟 : Keyboards
チャールズ清水 : Piano. Accordion

日下潤一 : Design
堰守 : Producer

1979.12.06-08 Studio live recorded at Studio Sound Creation

あがた森魚『乗物図鑑』(LP)
(1980 Vanity Records
vanity 0005)

A-1 恋のラジオシティ
A-2 ブリキ・ロックンロール
A-3 サブマリン
A-4 エアプレイン

B-1 コックテイル・マシーン
B-2 黄昏ワルツ
B-3 Rの解答
B-4 連続香水瓶

あがた森魚『乗物図鑑』
(再発CD)
(2007 Bridge Inc.
BRIDGE-078)

あがた森魚 : Vocals. Piano
SAB : Arrange.
Synthesizer. Strings. Vocoder.Clavinet.
Guitar. Bass. Drum Machine. Electronics
藤本由紀夫 : Synthesizer. Electronics
北田昌宏(INU) : Guitar
篠田純(SS) : Guitar
吉田孝 : Drums
Taiqui(Ultra Bide) : Synthesized Drums
向井千惠(シェシズ) : 胡弓
Phew(Aunt Sally) : Chorus

Producer : 阿木譲

1979.11. Recorded at Studio Sounds Creation

Follow me!

コメントを残す