レイ・ブラッドベリ 『たんぽぽのお酒』
Ray Bradbury 『Dandelion Wine』
1928年、イリノイの田舎町。
レイ・ブラッドベリ(Ray Bradbury)が
1957年に発表した、
この長編小説の12歳の主人公、
ダグラス・スポールディングの
きらめく “夏の最初の日” は、6月1日。
2020年、日本。
世界的な疫病に季節は翻弄され、
封印されてしまった春。
追いうちをかける憂鬱な長雨の後、
“夏の最初の日” を感じる事のないまま、
8月も半ば…
9月の夏の終わりの日、
この本を閉じる日まで、
夏の時間は僅かしか残っていない…
10代で出会ったこの作品。
こんな夏だからこそ読み返したくなった。
40数年ぶりに…
大学時代。
別に文学青年だったわけでは無いわたしは、
憧れていた文学部の先輩女性達の会話についていく為に、
当時のはやりだった、
アメリカ文学の作品に接する事になった。
60年代の大学生が、小脇に抱えていた
平凡パンチと朝日ジャーナル。
70年代後半には、
サリンジャーや、ブラッドベリの
ペーパーバックや、ハードカバーに
取って代わられていた。
なかでも
サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』と、
ブラッドベリの『たんぽぽのお酒(Dandelion Wine)』は、
マスト・アイテムだった。
当時のわたしの “にわか文学青年” ぶりといったら…
SF作家としてのブラッドベリでさえ、
萩尾 望都の短編連作漫画で知ったくらいだから。
「霧笛」などは、灯台の光にひかれてやってくる
悲しげな恐竜と、暗い海の光景…
漫画で描かれた世界の印象の方が強烈に残っている。
『たんぽぽのお酒』についても、
高校時代に聴いた、
JAM(吉田日出子ら演劇絡みのグループ)のメンバー、
ガンさん、こと佐藤博(ハックルバックの佐藤さんとは別人)の、
「たんぽぽのお酒」という曲のイメージの方が先行していた。
いざ、読み返してみると…
出だしのエピソードこそ、当時何度も読み直したので、
わりと記憶に残っていたものの、
その後のエピソードは、
ポツリポツリとひっかかるキーワードこそ有れど、
全体の内容は、ほとんど覚えておらず、
あらためて “発見” し直す事になってしまった。
短いエピソードを集めたものとはいえ、全編では400ページ近い長編で、
北山克彦氏の、形容詞・形容動詞を多用した詩的な翻訳文は、
実に当時のアメリカ文学の(翻訳)文体のイメージを定着させたものともいえるが、
“にわか文学青年” が、気軽にななめ読み出来る様なものではなかった。
(当時、完読していたかどうかも、今となっては少々怪しい…)
この2020年の短い夏の時間に、
40数年ものの、まだ青臭い魔法が、
ほんの少し閉じ込められているはずの、
煌めく『たんぽぽのお酒』のボトルの瓶を、
改めて開けてみた。
12歳の少年と田舎町の住人達に、
いつもどおり訪れる、1928年の夏。
少年だけではなく、大人たち、老人たちさえも、
日常の中で、ささやかだが煌くような発見に出会う。
12歳のダグラス・スポールディングの
丸天井の塔での、魔法の様な
“夏の最初の朝” の儀式で、このひと夏の物語は始まる。
山ブドウ山イチゴ摘みで訪れた森での
“生きている事” の再発見。
庭に咲くライオン・たんぽぽ摘み。
夏の最初の月・6月のエキスを閉じ込めて、
地下室に並べられる “たんぽぽのお酒”。
新しいテニスシューズがもたらす魔法。
敷物の掃除や、ポーチにブランコを設置する、
夏の儀式。
ダグラスの黄色い5セントのメモ帳に
タイコンデロガ鉛筆で書き込まれる
“慣例と儀式”と“発見と啓示”
その項目に書き加えられるのは、
きらめく夏の喜びだけではない。
燃えてしまったレオ・アウフマンの
“幸福マシン” に勝る日常の幸福の教訓。
“孤独の人” と、身近に起こった殺人事件に対する不安や恐れ。
街と荒野の境界を侵食する夜への畏敬。
腕時計をいくら巻き戻しても避けられなかった
友人との突然の別れ。
廃線になる路面電車。
動かなくなった緑の小型自動車。
慣れ親しんだ日常への喪失感。
さらに、この夏の後に必ずやってくる
“秋” と “冬” の住人ともいえる老人達のエピソードは、
避けられない宿命をも発見させる。
老人である自分の今の時間だけを受け入れ、
かつて子供だった事と決別して、
子どもたちに自分自身の子供の時間を譲った
ベントレー婦人。
自分自身の年齢分だけは過去に戻る事ができる、
子どもたちにとっての口述タイムマシーン、フリーリー大佐。
自身は、電話口から聞こえるかすかな記憶のざわめきを頼りに
かつての若い自分が暮らした街を想起する。
古い友人と再会する事で、突然、時はスリップをおこし、
その年代物のタイムマシーンは、静かに動きを止める。
若いビル・フォレスターと、95歳のミス・ヘレン・ルーミスの、
短い夏の間のこころの繋がりと、突然のお別れ。
60年後、来世での再開へのキーワード
“ライム・バニラ・アイス” を残して…
毎年4月に屋根を葺き直し、ずっとそこにいるはずの
大おばあちゃんが、いなくなってしまう事。
老人たちとの別れで、少年達は、
何十年か後に必ず訪れる “死” をも発見する事になる。
そして、やってくる “夏の最後の日”。
ダグラス・スポールディングは、
おじいさんの地下室に並ぶ、“たんぼぼのお酒” の瓶に、
その夏3か月分の一日一日を閉じ込めて、
家々の最後の灯りが消されるのを見届て眠った。
数々の “慣例と儀式” と、“発見と啓示” が、
この1928年の短い夏の日々に、記され、
6月から8月の3か月の夏の記憶と一緒に、
それぞれの日付が記されたシールを張られたケチャップの瓶に、
“たんぽぽのお酒” となって閉じ込められた。
子供たちにとって、世界と自分自身は、
まだ知られていないゆえに、
驚きと喜び、同時に、不安と恐怖に満ちた “魔法” であふれている。
“発見と啓示” を書きしるし、
その魔法を解き明かし、真実を知る事で、
世界と自分自身の安定を手に入れ、
反面で無力になっていく。
子供達、大人達、老人達、
夫々の “慣例と儀式” と、“発見と啓示” の比率が異なる。
“発見と啓示” と記していた幾つかの項目は、
歳を重ねる日常の中で、ありふれた現実としての “慣例と儀式” に
少しずつ置き換えられる。
できることなら、その一つ一つの変化の過程をも、
改めて瓶詰にしておきたい。
ライオンの誇り、“たんぽぽのお酒” は、
そんなあきらめの様な変化さえも、
冬の地下室で醸造してくれるのだろうか?
まるで、魔法のように。
夏の記憶が薄らいでしまった冬の日に、
忘れてしまった煌めく少年の日の記憶を熟成させた、
“たんぽぽのお酒” の瓶を、
改めて開けてみたい…
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