『虹色ほたる』63年目の夏休みに…
場当たり的な緊急事態宣言乱発の中、
5月に職を失って以来、
現在も都内の小売業の状況は相変わらず厳しく、
再就職先が見つからないまま、図らずも
63年目の “夏休み” を迎えることになってしまった…
一人で家にいる時間が増えた事もあり、
レンタルDVDで観る映画の本数も増えた。
そんな中で、たまたま出会った作品
『虹色ほたる~永遠の夏休み~』
原作は
2004年からweb上で公開された小説で、
2006年には、書籍として出版もされている。
このDVDのアニメーションは、
2012年に東映アニメーションが、
映像化した作品。
“夏”と言う、生命力に溢れていながら、
必ず終わりが訪れる、はかない時間…
個人的に大好きな季節!!
昨年の夏は40年ぶりに、
レイ・ブラッドベリ 『たんぽぽのお酒』の
封を開けることになったが、
今年の夏は、このアニメーションに
すっかりやられてしまった…
30年前の最後の(永遠の)夏休み
主人公である小学6年生の少年ユウタは、
交通事故で亡くなった父との思い出の場所、
蛍ヶ丘ダムへ一人でカブトムシを採りに出かける。
突然の豪雨に見舞われ、
濁流に流されてしまったユウタは、
林の中で出会った、
時を操る不思議な老人 “蛍じい” に救われる。
たぶんこの事故で、
命を落としてしまったと思われるユウタを、
元の時間、元の場所に戻すには、
色々と “手続き” に時間がかかると言う。
その間、“蛍じい” がユウタに用意したのは、
30年前、1977年の夏の時間。
意識を取り戻したユウタの目の前に有ったのは、
蛍ヶ丘ダム建設によって、翌年には水没することになる集落だった。
ユウタは、そこで出会った人々と、
“最後の(永遠の)夏休み” を過ごす事になる。
見事にに描かれた夏の空気感
まず… ストーリー以前に、
とにかく夏の風景、
光と空気感の描き方が素晴らしすぎる!!!
30年前の夏にタイムスリップしたユウタが、
小学3年生の少女さえ子と初めて出会う、
1977年、8月の夕刻。
さえ子の隣に住む少年ケンゾー
(たぶんユウタと同年代)と、
3人で村へと向かう、夜の風景。
翌朝、ケンゾーと二人で、
カブトムシを採りに出かけた早朝の神社の境内。
もちろん、子供たちにとって
永遠に続くかのような真昼の焼け付く日差しも!
それぞれの夏の時間の光と空気感が、
微妙にトーンを変え見事に描き出されている。
どのシーンも、夏休み、それも、
8月のわずか1か月間にしか
存在し得ない、はかない夏の、
光、風、温度、匂いを感じさせる!!
あえてCGを一切使用せず、
丁寧に描き込むというこだわりが、
見事に効果を上げている。
生き生きと描かれる最後の夏の日常
“蛍じい” の不思議な力で、
ユウタは夏休みの間だけ、
おばあちゃんの家に遊びに来ている
さえ子の従兄として、
この集落の人達の意識に刷り込まれていた。
ケンゾーやさえ子達と過ごしながら、
次第にこの時代の夏に馴染んでいくユウタ。
神社の境内での夏祭りの為の灯篭造り。
神主の “青天狗” は子供達に、
「今までで一番大事な思い出や、
嬉しかった事」を描く様にに指示する。
ユウタは、バイクに乗った父の姿を描こうとする…
眩しい夏の日差しの中での、
ケンゾーや子供達との、沢での水遊び。
そばで楽し気に見守るさえ子は、
ふっと、寂しげな表情も浮かべる…
ケンゾーと、
一足早く集落を去ってしまう少女吉澤さんとの、
淡い恋心と、切ない別れを翌日に控えた
花火大会。
ユウタは二人のキューピット的な役回りを演じる。
そして、ダムに沈むこの集落での最後の夏祭り…
タイムスリップという設定を持つ
ファンタジー作品ながら、
描かれるのは、
最後の夏を過ごす
集落の人々と子供達の、
現実的で自然な日常の風景である。
過去にこの集落を干ばつから救ったといわれる、
“虹色ほたる” に出会った経験を持つ “青天狗”
幼い頃に両親を亡くしたさえ子と、
二人で暮らすおばあちゃん。
そして、ケンゾーや、さえ子…
活き活きとこの集落での最後の夏を過ごしながらも、
やがて訪れる終わりの時への
切ない思いが、
一瞬の表情に表現されている点も見逃せない。
ユウタとさえ子の悲しい記憶がリンクする…
ある夜ユウタがケンゾーとさえ子に案内された、
秘密の場所 “蛍の海”。
そこは、かつてユウタの父が、
生前一度だけ見たことが有ると語っていた場所。
さえ子は、
「蛍は、運命の相手を探す為に光を出している」と…
“蛍の海” からの帰り道。
眠ってしまったさえ子は、ユウタの背中で
「おにいちゃん… 行かないで…」
とつぶやく。
一人っ子のはずのさえ子が…
おばあちゃんが急な用事で家を空け、
ユウタとさえ子が二人だけで留守番をする事になったある夜。
去っていく父の夢から目覚めたユウタは、
同時におにいちゃんとの夢を見ていたのか、
夜中に泣きじゃくるさえ子から、
本当の事を聞いてしまう。
そして、“蛍じい” が見せたものなのか…
気づくとユウタは、
父が交通事故に巻き込まれる直前の時間
の中に立っていた。
駄菓子屋の公衆電話から、
自宅へ電話をするユウタの父と、
同じ場所、同じ時間に、
蛍を見にダムを訪れていた、
さえ子と “おにいちゃん” が居た!!
その直後、
わき見運転の車との交通事故に巻き込まれ、
ユウタの父と、さえ子の “おにいちゃん” は、
共に命を落とすことになる。
そして、さえ子自身も…
ユウタとさえ子、
二人の悲しい記憶と、
失ったものへの執着と葛藤の起点が、
ここでリンクする事になる。
実は、さえ子もユウタと同様に、
“蛍じい” に件の事故による
瀕死の状態から救われ、
この30年前の夏の時間を与えられた者だった…
時折この時間のユウタの
様子を見に訪れる“蛍じい” から、
さえ子はこの借り物の時間を過ごした後、
元の時間には戻ることなく、
“おにいちゃん” の後を追って死を選ぶ
と聞かされるユウタ。
激しく抗議するユウタの前から、
「坊だったらどうする?」
と言い残し “蛍じい” は姿を消す…
無くしてしまったものとの決別と、
運命を変える約束。そして別れ…
最後の夏祭りの前夜。
灯篭造りを終えた子供達を迎え、
“青天狗” は、神社での夕食会を催す。
一人部屋に籠ってしまった
“青天狗” との会話の中で、
「どうして大好きなものが
消えていくんだろう…」
とつぶやくユウタ。
既に
“虹色ほたる” の魔法が存在しないこの時代に、
ダムに沈む集落の終わりを見据えた
“青天狗” は、
「人であろうと、物であろうと、
終わりと言うものが有る。
そして、失ったものは戻らぬ。」と…
終わりに向き合い、
失うものとの決別を受け入れようとする、
この集落での、
この夏の時間を過ごしたユウタには、
“青天狗” の、この言葉の意味が、
うっすらと理解出来ていたのではないだろうか…
“青天狗” やおばあちゃん、この集落の住人達、
ケンゾーや子供達、
そして、ユウタとさえ子にとって、
最後の夏の、最後の夏祭りの夜。
さえ子は、
今夜この時間から去らなければならない
自分の運命を知っていた。
祭りのさなか、ユウタやケンゾー達と離れ、
一人で “おにいちゃん” の所へ行こうとする
さえ子に、生き続ける事を諭し、
たとえ二人の記憶が消えてしまっても、
元の時代で再会を誓うユウタ。
この時のユウタの心には、
父の死という現実を受け入れる覚悟が、
しっかりと出来上がっていた。
さえ子の運命を変える為の一縷の希望としての、
“虹色ほたる”の魔法にすがるかのように、
ユウタはさえ子の手を取り、
“蛍の海” へと向かって、全力で駆け出す。
しかし、たどり着いた “蛍の海” は、
すでに短い夏の終わりを迎え、
わずかな蛍しか見受けられない。
もちろん “虹色ほたる” は、いない…
元の時間で生きようとする事、
ユウタに見つけてもらう為、
蛍の様に光り続ける事を約束し、
さえ子は、
この時代の夏の時間から消えてしまう…
ユウタやケンゾー達の記憶からも…
そしてさえ子自身の、このひと夏の記憶さえも…
この夏の時間には、
ダムに沈む集落の運命に対しても、
ユウタの父や、さえ子の “おにいちゃん” の死に対しても、
“虹色ほたる”の魔法が示されることは、
遂に無かった…
そして、短い夏休みは終わる…
集落から去る家族の引っ越しの車の荷台に乗り、
駅まで送ってもらうことになったユウタ。
手を振り続けるケンゾーや子供たち、
“青天狗” や、おばあちゃん、
ひと夏の時間を共にした集落の人々…
みんなの記憶からユウタの存在は消えてしまう。
そしてユウタ自身の記憶からも、
この大切な夏の記憶は消える。
その運命をも、どこかで感じ取りながら、
失うもの、消えてしまうものと決別し、
前を見て大人への一歩を踏み出すユウタ。
全力で手を振り続ける少年の後ろ姿は、
なんと力強い事か!!
この後の展開は、あくまでもエピローグであり、
この作品はこの場面で完結しても
良いのではないか…
とさえ思ってしまう!!
この作品では、
30年前の夏の時間を借りるという、
ファンタジーとしての設定でありながら、
安易に過去を書き換えるような
展開は見られない。
書き換えられたのは、
さえ子とユウタ、そしてケンゾー達の、
その先の未来への気持ちだけである。
借り物の時間の中で、ユウタと、
亡くなった父の思い出とが交わるのは、
生前の父も一度だけ目にした “蛍の海”と、
ユウタが描いた “父が乗るバイクの絵”
そのどちらもが、
ユウタやさえ子、ケンゾー達の、
未来の現実へと繋がっている…
ささやかな魔法が結実する
未来のエピローグ
ユウタが元の時代に戻ってから
10年の時が経つ。
“ホタルラリー” と言う、
蛍ヶ丘ダム周辺で催された
バイカーたちのイベントに参加する
成長したユウタ。
(このイベントを主催していたのは、
なんとケンゾー!!)
そこには、父に連れられたさえ子も訪れていた。
“蛍じい” の、ささやかな計らいなのか、
“虹色ほたる”の魔法は、10年を経た、
彼らの現実の世界でようやく結実する。
今までの淡々とした日常の描写とは
打って変わって、
このシーンだけは、
妙に非現実的で、大げさな描写で描かれている。
個人的には、
多少の違和感を感じてしまうのだが…
過ぎ去った夏の時間に中には、
受け入れるしかない現実のみが存在し、
現実の夏の時間にこそ、
“虹色ほたる”の魔法は存在した…
と言う事なのだろうか…?
複雑な心境で迎えた、
わたし自身の今年の “夏休み” に、
この小作品が与えてくれたのは…
魔法なのか?
受け入れるべき現実なのか?…