INU vs リザード at ヤポネシア80 & 有刺音群

町田町蔵君のバンドINUは、
我々より上の年代、
全共闘世代からも注目され、

以前に阪急六甲付近にあった、
喫茶店兼、ライブスペース(?)
“アロー” のマスターだった
ダスター池沢氏が企画するイベント

『ヤポネシア80・リムショット1.2』
にも出演していた。

ダスターは、
既に “アロー” をたたんでいたが、
やはり阪急六甲付近で、
“摩耶プリント” という名義で
古い民家を借りており、
学生運動や音楽関係の人間の
たまり場
になっていた。

わたしの通っていた大学にも、
大学祭のイベントなどの際には、
実行委員会に、ダスター達の人脈
学外から入り込んでおり、

わたし達も、なんだかんだで
“摩耶プリント” へ遊びに行っていた。

(わたしは経験しなかったが、
何人かは、公安に職質されていたらしい…)

後に、JOJO広重君
アルケミー・レコードからリリースされた
『牛若丸なめとったらどついたるぞ!』

に収められた、
79年、渋谷・屋根裏でのライブでも、
町田君は、東京ロッカーズへの敵対心
むき出しにしているが、
特に “リザード” への反感が強かった様だ。

実は、ダスターは当時、
“リザード”関西での世話役的な立場で、
先のイベント『ヤポネシア80』でも、
当然 “リザード” もブッキングしており、
そこに、半ば面白がって、
“INU” をぶつけていた様にも思える。

『ヤポネシア80』は、
1980年5月、ゴールデンウィークの2日間
79年までは、福岡風太氏
『春一番コンサート』を開催していた、
大阪の天王寺野外音楽堂でおこなわれたイベント。

主催は、ダスター達の  
リード・アロー・プロジェクト(LAP)に、
関西のイベンターや、学生たちを取り込んだ
関西フロントラインという名義になっていた。
(春一番を主催していた、風太オフィスからも
何人かが参加していた。)

出演したのは、
5月4日
DADA、INU、アシッド・セブン、
キャラバン、中山ラビバンド、
南正人&Soul Brothers、
友部正人&Recording Band

5月5日
生活向上委員会大管弦楽団、
(いとうたかお &)バランス、憂歌団、

白竜バンド、P-Model 、Lizard

当初は、パンタ & ハル(Panta & HAL)
ブッキングされていたが、

レコード会社の都合で、
出演をキャンセル
され、
急遽、憂歌団に入れ替えられた。

パンタの替りが、憂歌団
と言うのは、実に関西らしいが、
実際、
「しゃあないなぁ。憂歌呼んどこかぁ…」
という感じだった様に記憶している。

さすがに、パンタドタキャンには、
ダスター周辺は激怒し、
『ヤポネシア80』に先立って行われた、
パンタ & ハルの大阪でのライブに、
「パンタを糾弾する!!」とかいう事で、
チラシを撒きに行くことに…

実は、当日わたしも同行していたが、
特に糾弾のアジビラを捲いた覚えがなく
『ヤポネシア80』の告知チラシ
捲いていたように記憶している。

チラシを撒き終え、
参加したメンバーの誰からともなく…
「せっかくやし… 観ていかへん?」
まったく、いい加減と言うか、緩いと言うか…

結局、全員で
パンタ & ハルのライブを堪能する事になり、
「やっぱり、かっこええなぁー」って…
ええ加減なもんですわ…

そんなわけで…
わたしも当時の大学でのサークルのメンバーや、
音楽関係で知り合った学内の友人たちと、
このイベントに、スタッフとして参加していた

スタッフなどといっても、
大した事をやっているわけでは無く、
ちょこちょこした雑用を手伝う程度。

2日間のイベントで、
泊まり込みになったわけだが、
野音で寝袋で夜を明かすスタッフがいる中、
わたし達の様な、“学生さん” 達には、
天王寺の商人宿のような旅館が、
宿泊場所として用意されていた。

初日の夜。
わたし達が雑魚寝する部屋の襖が、
突然思い切り開けられ、
そこには、仁王立ちする男が一人!

季節はもう温かい春5月。
それも夜の旅館の廊下に、
黒革のロングコートを着こみ、
黒のサングラス姿。

「なんや!? こいつ!?」

それが、翌日出演する “リザード”
モモヨ氏だった…

そこにいた全員が感じたのは、

「町田君がボロクソ言うのも…
なんか… 解る気がする…」

“INU” VS “リザード”という図式は、
この半年後の、母校の大学祭でのイベント
『有刺音群 で再燃する事になる。

『有刺音群 は、大学の実行委員会が主催していたが、
実質、ダスター達の外部の人脈が、
かなりの部分で入り込んでいた

ちなみに、この当時のダスター達が絡むイベントで、
PAを担当していたのは、
後にパフ・アップ・レーベルを立ち上げる
藤井暁(さとる)さん

暁さんは、『ヤポネシア80』『有刺音群』共に、
PAを担当されており、
両イベント共に、
PA卓から全演奏を記録されていたと記憶している。

暁さん2012年に亡くなられた後、
ディスク・ユニオンSuper Fuji レーベルが、
暁さんが残された大量の記録音源から、
何点かCD化を行っている。

ぜひとも、この時代の関西での、
貴重なイベントの記録も、
復刻して頂けることを期待している。

5月の 『ヤポネシア80』 では、
まだ、黒のツナギを着こみ、
ギタリストはオリジナルメンバーのカツさん
キーボードには、ベルさんが参加しており、
ストラングラーズ・タイプの演奏だった “リザード” は、

11月の『有刺音群』の頃には、
ギターは、元螺旋北川氏に代わり、
ベースのワカさんと、ドラムのベルさんの、
タイトな4ピース・バンド

見た目も、カーキ色の戦闘服の様なツナギ
音も、ヘビーでサイケデリック
“鋼鉄のバンド” に、生まれ変わっていた。

同時期の京都芸大での音源

“INU” も、『ヤポネシア80』では、
広い屋外の会場で、
バンドの存在感が少々薄れている様にも見えていたが、
この半年間で、演奏もこなれ、
バンドの存在感も格段に上がっていた。

案の定、“INU” のステージでは、
町田君“リザード” ディスりまくり!

それより何より…
町田君は、野次を飛ばした観客を、
ステージ前に呼びつけ、

マイク・スタンドで殴る!
という暴挙に出た。

わたしもステージ左側のPA前で、
警備のスタッフとして参加していたが、
スタッフ全員が、一瞬青ざめた。

ただ、他のバンド・メンバーは
それほど焦る様子もなく

それどころか、その瞬間、
北田君が、効果音の様にギターを掻き鳴らした。

今考えると、ヤラセだったのかも…

しかし、次の曲の出だしでは、
町田君の声が、上ずって震えている…

いまだに解らん…

ちなみに、“リザード” は、
そんなディスりには全く動じず
貫禄のステージを…

ちなみに、ダスターは、
一時期、メンバーを一新し、
“FUNA” に改名した “INU”
マネージャーに収まっていた時期もあった。
(よぉ解らんお方である…)


Lizard『Lizard』(1979)

A-1 New Kids In The City
A-2 Plastic Dreams
A-3 Radio Controlled Life
A-4 Guyana
A-5 Asia

B-1 T.V.Magic
B-2 Market(Ing) Research
B-3 Don’t Touch The Switchboard
B-4 Modern Beat
B-5 Love Song
B-6 Kingdom

モモヨ : Vocals
カツ : Guitar
ワカ : Bass
ベル : Drums
コウ : Keyboards

Producer : Jean Jacques Burnel

Lizard
『Babylon Rocker [邪都戦士]』
(1980)

A-1 Rock ‘N’ Roll War
A-2 Goodbye! Plastic Age
A-3 Asakusa Rock
A-4 Instant Dream
A-5 Kids/Babylon Rocker
A-6 Moonlight Lover

B-1 Lizard Song
B-2 Kwangju Fighting
B-3 Baby, Hit Yourself
B-4 Sa. Ka. Na.
B-5 Gum Gum

モモヨ : Vocals. Guitar. Synthesizer
北川 : Guitar
ワカ : Bass
ベル : Drums
コウ : Keyboards
Zelda : Backing Vocals (B-5)

INU
『牛若丸なめとったらどついたるぞ!』
(1984)

A-1 イヌ
A-2 ラヴ・オーヴァー・ヴォルテージ
A-3 ガンペキ
A-4 メシ喰うな!
A-5 フクスケニンギョウ

B-1 ガセネタ
B-2 西森とオショウ
B-3 あほのケンカ (Ultra Bide)
B-4 マリィ
B-5 カンボジア
B-6 オール・ザ・オールド・パンクス

町田町蔵 : Vocals
林直人 : Guitar
田中 “オショウ” 敬介 : Bass
西森タケル : Drums

1979.03.25 Live at 屋根裏

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