ジャクソン・ブラウン – レイト・フォー・ザ・スカイ

Jackson Browne – Late for the Sky

大学の先輩からの影響で、聴き始めた… 
というより当時は、ほとんど神格化されたような扱いで、
聴かざるをえない状況で接した作品が、

 ジャクソン・ブラウン(Jackson Browne)
 1974年の第3作
 レイト・フォー・ザ・スカイ
 (Late for the Sky)

別項でもふれたとおり、当時の大阪を中心に関西の音楽シーンでも、
別格の扱いを受けていたジャクソン・ブラウン

わたし自身にとっても、大学生だった当時に初めて聴いて以来40年以上の間
折にふれては聞き返すことになる特別な作品になりました。

アメリカでは、ベトナム戦争の終結後、社会に向かうメッセージ性の有るロックから、
“個”の内面に向かったシンカーソングライター (S.S.W) 
と呼ばれる個人のアーティストへシフトしていた時代。

日本でも、ロック創世記の衝動が薄れて来つつあった時代
バックを務めるスタジオ・ミュージシャンへの評価と相まって、
シンカーソングライター (S.S.W) は、ちょっとしたブームとなっていました。

後年、ニルヴァーナソニックユースでブレイクする
ゲフィンレコードの仕掛け人デビッド・ゲフィンが、
71年に立ち上げたレーベル “アサイラム(Asylum)” から、
72年のファースト『Jackson Brown』
73年のセカンド『For Everyman』に続く3作目。

76年『プリテンダー (Pretender)
78年『ランニング・オン・エンプティ (Running on Empty) の方が、
アメリカ本国でのチャートは上位に上ったようですが、
当時の日本では、シングルヒットも無いこの作品の方が評価が高く、
最高作と評価する人も多く、

 もちろんわたしも同感です。

このアルバムは、すでに沢山の方々によって語り尽くされているかもしれませので、
あえて、こんな “わけのわからん” ブログに取り上げる事も無いかとも思いますが…

マグリットの絵『The Empire of Light(光の帝国)』
をモチーフにしたアルバムジャケットが象徴するもの

昼間の空の下の夜の風景、という相違するものの共存
明るく晴れた空が描かれているにも係わらず全体では夜を感じさせる

西海岸の澄み切った陽光と、そこに潜む “夜” の部分が同居し、
そのまた夜の風景の中には、ミドルクラスの象徴としてのシヴォレーが、
うっすらと光を帯びている

この “短編私小説集” とも言える作品を象徴するデザインとなっています。

後に(87年)映画化された
Less Than Zero(レス・ザン・ゼロ) に描かれた様な、
ロス・アンジェルスの、ミドルクラスの世界観をベースに持ちつつ、
やはり同時代のアメリカ文学サリンジャーの小説のような歌詞の世界。

当時日本でも、典型的な中産階級の大学生達に、
共感を持って受け入れられたのは当然かもしれません。

自分の内側に深く切り込んでいくような、
私小説ともいえる歌詞に描かれるものは、

出会いと別れ
共感の幻想と解り合えない事実の虚しい発見
移り変わる心と執着する気持ち
マグリットの絵が表す様な
二律背反する物の中で葛藤する個人。

そして、タイトル曲以下すべての曲で共通しているのは、
それらの個人の内面の葛藤に執拗に向き合いながらも、
前へ踏み出していこうとする事への希望が、

ジャケットのシヴォレーが象徴する
ささやかな “救い” として
配置されている点では無いでしょうか。

歳を重ねながら追体験する私小説

当時まだ人生経験の少ない学生だった
わたし自身にとっては、すこし背伸びして
この私小説的世界疑似体験していただけ
だったのかもしれません。

そして、そんな当時のわたしの様な学生達も、
モラトリアムの時期を終えて社会に出て、
まがりなりにも仕事をし、家庭を持ち、
出会いと別れ成功と挫折幸福と絶望 
を、実際に体験していく事になります。

わたし自身といえば…
何年間かの結婚生活と、突然の離婚
新卒から何年かの安定した仕事と、
40歳を超えてからの不安定な非正規雇用
親不孝ばかりを重ねているうちに、父も母も無くし
生活に行き詰まる事もしばしば…

いい加減ながらも、色々と経験を重ねながら
(成長しているかどうかは別として)歳を重ねてきました

そうした人生の様々な場面で、
この作品の受け止め方は移り変わっていきます

実際の痛みや悲しみを体験してこそ
共感を持って理解する事が出来る

時代を超えた名作だと、

この歳になって再認識しています。


一方で、自分自身が歳を重ねるにつれ、

発表当時、ジャクソン・ブラウン自身が、
まだ20代半ばだったこの作品に対しては、

そこに自分自身を重ねる事を、どこか青臭く感じたり
純粋であるが故の、弱さや女々しさを感じたり、
するようになってきたのも事実です。

もちろん、ジャクソン・ブラウン自身
リスナーと同時代的に年を重ね
その人生の場面ごとの成長した “新たな私小説”
を届け続けてくれています。
(政治社会問題私的な視点で捉えながら)

だからこそ、一緒に歩んできた我々世代には、
特に評価が高いのかもしれませんが、
今の若いリスナーにとっても
この作品は普遍的に響くものがあるはずです。

この作品の “私小説” と、あなた自身の “私小説” を、
長い年月をかけて少しずつ、重ね合わせていって下さい。

Late For The Sky

直訳すると 空に遅れて置き去りにされて
朝の幸せ という訳もありましたが、実は
「飛行機に遅れるから、もう行くよ」という、
恋人をふりきる別れの言葉だったと言う事です。

ジャクソン・ブラウンの作品には、
“道と空(The Road And The Sky)”
“道(The Road)” = 人間が歩んでいく道・人生
“空(The Sky)” = 神聖で絶対的な物・真理
という一貫したテーマが有ります。

その “空(The Sky)” に、置き去りにされる = 修復できない状態と、
実際の別れの際のセリフをだぶらせている様にも思えます。

また、当時の日本盤LPの歌詞カードでの翻訳だったと記憶している
“朝の幸せ”も、実に深い意味合いを含む意訳ではないかと思います。

幸せの記憶は、それが幸せであればあるだけ
残酷な痛みを伴ってフラッシュバックする

一人取り残され目覚める、
“朝の幸せ” “幸せの記憶”反語であり、
それは、ヒリヒリとした痛々しいまでのポジティブさ
を指しているのかもしれない。

実際の曲では、最後のフレーズ
“ Late For The Sky” と歌い終わった後
意外な程あっさりとフェイドアウトして終わっていますが、
初めて耳にしてから40年以上、わたしの頭の中で、
その悲しくもすがすがしい曲のエンディングは、
デビッド・リンドレースライドギターのメロディーが、
延々と朝の空に昇っていく様に鳴り続けています

Before The Deluge

そして、
このアルバムの締め括りのこの1曲だけは、
これまでの私小説的世界から、
社会全体へ視点を広げています

洪水が流し去る物は、
フラワーチルドレン達の叶う事のなかった未熟な夢
恐れを知らなかった向こう見ずな若さ
なるべき何物かを見失った愚かな指導者達

エデンの園を追放された人間たちの世界で、
ノアの方舟に乗る事もかなわない

選ばれざる者達

失われた “光” (希望) “空” (神)に届くまで真理を解き明かしていく事が、
人間に残された選択肢だと歌われるこの曲。

原発事故、テロ、震災、そして、コロナ…

抗う事の出来ない大きな流れの前では
Everyman(選ばれざる一般の人々)は、
そのかすかな希望の“光”を見据えながらも、

圧倒的に無力でしか無い…

さあ、音楽で魂を高揚させよう
さあ、子供たちを雨から守ろう
それくらいしか、私たちには出来ないのだから…

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