輸入盤屋さんとロック喫茶

地元の輸入盤屋さん

1970年代初め頃
洋楽のレコードは、もちろん日本盤も出ていましたが、
当時の10代の学生には、やはり高額品でした。
で、少しでも安くたくさんの作品を聴きたいとなると、
ネットも、ユーチューブも、レンタルレコードも無い時代、
選択肢は、友達同士で貸し借りするか、
輸入盤屋さんで安く買うしかありませんでした。

当時の日本盤LP(1枚)の価格が、2200円から2300円位
アメリカ盤の輸入盤だと、1500円位
カット盤(ジャケットの角を、文字通り三角形に切り落としたり、
細い切れ目を入れたりした盤)という、廃番等の処分盤だと、
1000円前後

 この差は大きい!!!

当時の日本盤は、上質紙を使ってしっかりと造り込まれたジャケットに、
ライナーノーツと、歌詞翻訳 等のブックレットが封入され、
国内プレスの上質なレコード盤… と、贅沢なものでしたが、
輸入盤、特にアメリカ盤は、荒っぽいダンボールジャケットに、
粗末な紙製スリーブに入ったレコードが突っこまれただけ…というもの。

ファクトリーシールと言われるビニールでラッピングされた状態で売られていました。
最初の頃は、ビニールを開封した時の匂い

「アメリカの空気やぁー!」

などと感動してました… (ただの安モンの段ボールの匂いですが)

現在のようにタワレコの様な大型店など、もちろん無く
アマゾンおてがるに注文できる訳でもなく
ごく限られた、小さな輸入盤屋さんだけが頼りでした。

LPコーナーのマーク

大阪では、阪急梅田駅からちょっと離れた、阪急東通り商店街
“LPコーナー” “DUN” “V.I.C” という3店舗が有りました。
“LPコーナー” は、アメリカ版だけでなく、イギリス盤も、かなり有ったように思います。
“DUN” は、ジャズ系が強く、“V.I.C” は、ブートレッグ(海賊盤)の取り扱いも多かったはずです。


わたしの地元の神戸となると、

昔からジャズやブルースの輸入盤を扱う、
ジャズ専門のレコード屋さんは何軒かありました。

デルマークアーフリーアリゲーター等の
ブルースレーベルの作品が、
いつも店頭のラックに安価で並べられていて、


中学生の頃に、超定番のマジック・サムの
『ウェスト・サイド・ソウル』を買ったのが、
わたしの初めての輸入盤体験でした。

ただ、ROCKという目線で輸入盤を扱うお店がオープンするのは、
70年代半ばを過ぎてからになってからの事でした。

75年頃(だったと思う…)、
高速神戸駅という地下鉄の駅に直結した地下街 メトロこうべ の一角に有った
“大蓄(ダイチク)” というフツーのレコード屋さん

ごく一般的な、歌謡曲や演歌のレコードを扱ってるお店の片隅に、
なぜか、マニアックなシンガーソングライター系や、
アメリカンロックの輸入盤のコーナーが、いつの間にか出来ていました。

その当時の店長、並川さん(だったと思う)が担当されていたコーナーだったようです。

Bobby Charles(ボビー・チャールズ)
Geoff & Maria Muldaur(ジェフ&マリア・マルダー)
等など… なんでこんな店(すみません…)に?!
というアルバムを、たくさん入手させていただきました

(実は、中学生の頃に、すでに手に入りにくくなっていた
ジャックスのファーストLP「ジャックスの世界』が、
普通に店頭に置いてあったのがこの店。もちろん、すぐに購入!!)

並川さんは、後に独立して神戸の三ノ宮に小さな輸入盤屋さんをオープンされました。
(たしかピンカラトリオの 並木ひろし の弟さんだったようです)

三ノ宮センタープラザの上の方の階に、輸入盤だけでなく、
まだ “自主制作盤” と言われていた頃のインディーズのレコードやソノシートも扱っていた
“ウッドストック” ができたのは、もう少し後だったと思います。

たしか、その後心斎橋へ移転。後年、西新宿にも東京店を出店していました。
東京に出てきてからも、西新宿のお店にはよく通いましたが、
90年代に西新宿がブート屋街に移り変わるのにつれて、
いつの間にか閉店してしまいました…

ロック喫茶 DJANGO(ジャンゴ)

もちろん、いくら輸入盤は安く入手できるとはいえ、
レコード、特にフックトリーシールでラッピングされたアメリカ盤は、
購入して針を落としてみないと内容が解りません

今のようにネットで検索すれば、
情報や音源が、誰でも簡単に手に入る時代と違って、
当時、レコードの情報が手に入り実際に音が聴ける場所は、
いわゆる “ロック喫茶” と呼ばれたお店でした。

地元神戸では、三宮の御幸ビル地下
『DJANGO(ジャンゴ)』

雑居ビルの階段を下りて地下1階
けして広いお店ではありませんでしたが、カウンターと、ソファー席が幾つかあり、
ランチタイムには、近所のサラリーマンやOLも利用していたようです。

もともと ジャンゴ・ラインハルト のファーストネームを、
店名にしている事からも解かるとおり “ジャズ喫茶” だったようですが、
わたしが通い始めた頃、新しいマスターが引き継いでからは、
お店の方向性が変わり、

かなり渋めでマニアックな、シンガーソングライター
サザンロックや、ウェストコースト系ザ・バンド等のアーシーな東海岸系
ウッドストック(フェスでは無く地名)周辺フォーク・ブルーグラス
フェアポートアン・ブリックスといったブリティッシュ・トラッド

まさに、”西のブラックホーク” といった選曲のお店でした。

わたし自身、大学生になってからは、学校の帰りや休みの日には、
いつも入り浸っていました。

“ロック喫茶”という呼び名が当てはまるかどうか解りませんが、
神戸のハードロック・プログレシーンとは、全くシンクロする事の無い
マニアックで、少し老成した感のある独特な空間でした。

その後、またオーナーが代わり、
わりと普通の “ロック喫茶” になった時期もあったようです。

当時のマスターはその後、大阪梅田で輸入盤屋さんを開業されていました。
5.6年前に仕事で大阪に行った際、
阪急梅田駅周辺で、たまたま立ち寄ったCDショップが実はそのお店で、
当時とあまり変わらない雰囲気のマスターと40数年ぶりに再開しました!

77年、この頃のわたし自身は、、
毒を含んだ関西フォークの衝撃や、ROCKの初期衝動から少しずつ遠ざかり
良くも悪くも “趣味” として音楽と関わる様になっていました。

それが、わずか2年後に出会う事になるアンファン・テリブル(恐るべき子供達)に、
大きく引き戻されることになるのですが…

それは、また後日…

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