愛すべきB級作品

2018年まで通い続けた、神保町のジャニスでは、
在庫にない商品のリクエストも、
たまに受け付けてくれていました。
正式な受付様式が有った訳ではないようですが、
カウンターでの会話で、「今度探しときますよ
という程度のものでしたが…

どうしても聴きたい物は、だいたい入荷してましたから、
ちょっと聴きたけど買うほどでもないなぁ
という “微妙な作品” をリクエストすることになります。

その “微妙な作品” のひとつが

70年代の大阪のバンド

レイジーヒップ
『フラワートップ』というアルバム。

(1979年に発売されたLPの、リマスター再発紙ジャケCD)

長田(たこやき)和承 さんというギタリストが中心のバンドです。

この人…たしか、ご実家がたこ焼き屋さんだったかなんかで、
長田たこやき さんと呼ばれていました。

もともと、ディランⅡ(ディラン・セカンド)周辺の人だったように記憶しています。
アコースティックなブルース系の、スライド・ギタリストだったはずですが、
バンドでの演奏となると、スライド系という事で、
ロウエル・ジョージデヴィド・リンドレー路線のギターに変わってきていました。

加川良さんや、金森幸介さんのバックバンドも、
やっていたレイジーヒップでしたが、

バンド単体での作品となる、この唯一のアルバムは、

当時(いや…そのちょっと前)の関西、特に大阪洋楽好きが好む
サザン・ロツクウェストコースト・ロックの要素をてんこ盛りにした

 70年代中期の大阪産アメリカン・ロック(?!)

と言える作品です。

LPが発売された1979年というと、
東の東京ロッカーズに呼応して、すでに

 関西ノーウェーヴ

の連中も活動を始めていた頃。

実に微妙な時期のリリースということもあって、

“京都(関西)に巣食ーう亡霊どももぉ 西部(講堂)に籠ってぇー” (by 町田(康)町蔵)
と揶揄された、

 関西オールドウェーヴ 

の、最後のアガキみたいな位置づけに成ってしまいました。

実際、当時のわたしも、
発売されている事は知っていても、
ほとんど見向きもしていませんでした。 (ゴメン…)

 1曲目 “ハドソンリバー”

メンフィス・テネシーから、ハドソンリバーを超えて
ニューヨークで、リズム・アンド・ブルース…と、
今聴くと、恥ずかしくなるような歌詞なんですが、
当時は、憧れの対象への愛情を、ほんと素直に唄ってたんだな…
と、変に感動したりして。

ボーカルの女性は、ジャニス(ジョプリン)風??… というよりは、
桑名晴子風?? 大上留利子風?? で、これも、いかにも大阪産ソウル

曲自体も、けして悪くは無いんですが、
どうしても、たこやきさんのギターにばかり耳が行ってしまいます…

エンデイングに、全体の曲調お構いなし
ブルースの循環コードもってくるあたりも、いかにも大阪!!

 2曲目 あいつにGOOD-BYE”

もう一人のギタリスト、安田尚哉をフューチャーした、
いかにも、あの当時っぽいシティーポップ
でも、いたるところに大阪臭を感じさせるところが、さすが。

 3曲目 “カーニバル”

夜までもう少し” というフレーズは、
たこやきさんからみの、別のバンドの曲で聞き覚えがあるんですが…
この曲も、リトルフィート風

 4曲目 “夜が来る前に”

スローバラード
あまり印象に残らないメロディーで、個人的にはちょっと苦手かも…

 5曲目  “朝からごきげん”

やはりギターはリトルフィート風ですが、
曲調自体は、当時の関西フォーク系かも…

 6曲目 “扉を開けろ!”

レゲエです。
ベースラインは、ウェイラーズ風で、スタイリッシュになり切らない部分が、
これまた大阪テイスト?!

 7曲目 “ギターマン”

石田長生さんの作品。
いかにも石田節で… ちょっとシブすぎ?
なんか、ソーバッドレビュー あたりでやりそうな曲。

 8曲目 “ムーンライトワルツ”

西岡恭蔵さんの作品。
さすがに良くできたメロディーライン
ゲストのチャールズ清水キーボードが、プロコルハルム風なのは…
どうなんだか…

 9曲目(レコードではラスト) “ヒーロー”

曲の終盤で、ザ・バンド(ガース・ハドソン)風の鍵盤での音造りの上に、
ロウエル・ジョージ風のギターが乗っかる!! という荒業も!!

ボーナストラックの、半年後に出たシングルの2曲については、
楽曲自体の完成度は上がっているとは思いますが、
わりとありふれた『シティーポップ』になってしまっていて…
大阪臭も薄れ気味で… 今一つかも。

ジャケットのイラストが、森英二郎
写真が、糸川耀史
このへんも、大阪(プレイガイドジャーナル系)ラインナップ!!

録音は、なんとグアムのスタジオ使ってます。

結論としては、

 愛すべきB級関西ロック

という事になりますネ…

(わたしの中では、神戸オールマンB.B.タイプのバンド、
アイドル・ワイルド・サウス『キープ・オン・トラッキン』という、
サザン・ロックへのオマージュあふれるアルバムと、同じ様な位置づけですが、
それよりちょっと下あたりのB級度合??)

バックバンドとしてのレイジーヒップは、

加川良さんの『駒沢あたりで』というアルバムに、参加したり、
金森幸介さんのライブでバックバンドもやってました。

わたし個人としての、レイジーヒップのベストテイクは、

関西ローカルのFM局の、公開放送かなにかで聴いた
金森幸介さんのバックバンドとしてのライブテイク

“今日を生きよう”という曲です!!
(金森幸介さんの、CD再発された2作目のアルバム『少年』
ボーナストラックで収められています。)

CDでは、カットされてしまっていますが、
当時の関西フォーク系特有の、
ボケどころがすこーし薄ーいしゃべくり”が延々と続いた後、
「死んでまえ!!」というヤジに対して、「辛いわぁー」と返して
(ディランの「ユダ!!」に対する「ユーアー ライヤー」か?!)
唄い出すその曲は、

たこやきさんのスライト・ギターは、

 もろ!! デヴィド・リンドレー!!

金森幸介さんの、なまずがのたうつような歌い方と曲調は、

 もろ!! ジャクソン・ブラウン!!

『Running on Empty』の頃の
ジャクソン・ブラウンそのままという曲で、
すこしアホらしくて笑ってしまいますが…

 なんか… これ… 好きなんですよぉー!!

わたし個人としては、CDで改めて音源を手に入れることが出来て
B級アイテムと言いつつ、けっこう気に入っているのですが…

これをリクエストされて在庫に加えてしまった
神保町のジャニスさんとしては… 迷惑だったのかなぁ

70年代日本のCD棚の『レ』のコーナーに置かれてましたが、
『レ』のコーナーって、アイテムの数が少なくて目立たない上に、
CD自体が紙ジャケなので、薄くて背のタイトルも見えない!!
なんか… ほとんど借りられてなかったみたいです

すみません… 

ジャニスさん…

ちなみに、ジャニスが、
エチゴヤビルの1階に移転した後にも、

スピード・グルー&シンキドラマー
スピードこと、ジョーイ・スミスが、フィリピンに帰国後に発表した
JUAN DE LA CRUZ(ファン・デ・ラ・クルーズ)『Himig Natin』を、
リクエストした事がありました。

こちらは、やはり需要がかなり有ったようで、
わりと目立つ所にディスプレーされていました。

 よかったぁー ホッ…

(内容的には、まぁ… それなりに… といった物だったんですけど)

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