関西ノー・ウェイヴ 雑記 ①アーント・サリー

70年代末
ロンドン・ニューヨークでの
“PUNK” ムーブメントに呼応して
東京では、すでに   
“東京ロッカーズ” の動きが始まったいた。

1979年には、
リザード、フリクション、
ミラーズ、ミスター・カイト

の4バンドが、オムニバス・ライブ・アルバムを、
メジャーのCBSソニーからリリース。

V.A.『東京 Rockers』(1979)

それに呼応して、と言うか対抗して…
関西からは、“関西ノー・ウェイヴ” と名乗り、
ひいては、既存の “音楽” の概念にさえ捉われない
独自の表現を発信する連中が現れ始めていた。

“関西ノー・ウェイヴ”
と、自ら名乗っていた事からも、
78年前後のニューヨークでの
“No Wave”
の動きに触発された部分が
大きかったのでないかと思われる。

当時、大学生だったわたしより、
少し下の若い世代が中心で、

それまでの関西の、
ハード・ロック、ブルース、
プログレッシブ・ロック…
と言ったジャンルを否定し

人脈的にも
ほとんど前世代とは隔絶した
新世代のアンファン・テリブル(enfant terrible)達

大阪では、町田町蔵(町田康)君の “INU”

    本田久作君の “変身キリン”

神戸では、フュー “アーント・サリー”

京都では、ビデ君の “ウルトラ・ビデ”


    篠田 “S.S.” “チャイニーズ・クラブ”

それぞれ、ストレートに “PUNK” といえる音では無く
独自のバックグラウンドを持った音を出していた。

“INU” は、
前身バンド “腐れお○○” 時代には、
以外だが、R.ストーンズや、
R&Bのカバーも演奏していた。
(町田君は、当時まだ高校生)

“変身キリン” は、
本田久作君(夢野久作を思わせるが、本名)の、
稲垣樽穂的な世界観を、
ベルベッツ風味のローファイな音で表現。
見方によっては、アシッド・フォーク?

“アーント・サリー” は、
初期には、
パティー・スミスのカバー等も演奏しながら、
ヴェルベッツや、シャンソン等の要素も感じさせた。

“ウルトラ・ビデ” は、
ビデ君とJOJO君(現在の非常階段JOJO広重)の、
ジャーマン・ロックや、アヴァン系がベースなのか??
かなりフリーな(むちゃくちゃな?)音を出している。

“S.S.” は、
後年のハードコアを予見するような
超高速Rock ‘n’ Roll。

わたしの周囲でも、
比較的身近で、こういった、
少し年下の世代の、新しい動きが起こっていた。

わたし個人にとっては、

大学で所属していたサークルに、
二つ下の学年で、
当時 “変身キリン” でピアノを弾いていた
須山公美子が入部してきた事は、
大きな出来事だった。

もともと、音楽や映画を “鑑賞” するという、
わりとお気楽なサークルだったけれど、
わたしが入部した頃は、
毎年11月の学園祭で、3回生が中心になって、
バンドを呼んだライブを企画するようになっていた。

75年 めんたんぴん
76年 憂歌団
77年 センチメンタル・シティ・ロマンス
78年 上田正樹とPush & Pull

と、歴代の先輩たちが企画したライブのメンツを見れば、
当時のこのサークルの嗜好性は、おのずと見えてくる。

ちなみに、わたし達の学年が企画したのは、
79年 エンケン(遠藤賢司) vs ウシャコダ

そんな中に、突然変異のような新世代
紛れ込んできたものだから…
わたしを含めて、何人かは、
少しずつ彼女達の影響を受けていく事になった

Patti Smith
改めて、アルバム単位で聴くことになったのも
彼女から借りたレコードでだった。

そんな中で、
須山公美子か持ってきたレコードが、

“Aunt Sally(アーント・サリー)”

阿木譲氏の『ロック・マガジン』誌を母体とする

ヴァニティ・レコード(Vanity Records)から発表された、
セルフ・タイトルのLP。

シングル・ジャケットのLPだったが、
糊付けが甘く、
見開きジャケットの様に
開いてしまうそのLP

(須山を含む有志のスタッフが、
手貼りでジャケットを作っていたらしい…)

鋤田正義撮影の、
フューのモノクロ・ポートレイト以外は、
真っ白の、シンプルすぎるデザイン。

一曲目の「アント・サリー」の衝撃に、
思わずぶっ飛んだ!!

当時の所謂 “PUNK”
というカテゴリーには収まらない
プリミティブでヘビーな反復ビートに絡む、
フリーキーなノイズをまき散らす
ビッケ(Bikke)のギターと、
音程のふらついた、歌唱と言う観念を超えた
フュー(Phew)のボーカル…と言うよりヴォイス

確信犯的な無気力さ、と同時に、
計算ずくではない、
知性に裏打ちされた無秩序

男性的な衝動では無く
女性特有の生理的なカオスが、
ぶち捲かれていた。

本人たちが意識していたとは思えないが、
ニューヨークの、マーズ(Mars)と同質の音が、
海を隔てた日本の関西で、
産み落とされていた。

マーズ(Mars)

フューは当時、
わたしの大学の隣の駅の、関西では有名な、
名門女子校に通っていたと言う事もあり、

ヘビーなバック・グランドからでは無い
有る程度育ちの良さを感じさせる “アブナサ” は、
当時のわたし達の様な “プチブル” 大学生にとっては、
“中産階級の免罪符” 的な物だったのかもしれない。

直接話した事は無かったが、
どこだったかのライブハウスで、
イベントのチラシを受け取った事が有った。

その時の印象は、
意外に(失礼…)普通の関西の女の子
メンヘラ度では、
当時の須山の方がずっと上だった。
(さらに失礼… ゴメン…)

79年9月
解散する少し前に、
神戸・元町の神戸ヤマハのホールでの
ライブを見る事が出来たが、
やはり、フュービッケの存在感に比べて、
ドラムとベースの男性陣は、意外に普通…

しかし、阿木譲のプロデュースで、
クールに仕上がっていたアルバムに比べて、
ライブの場では、
ストレートでエモーショナルな部分も、
解放されていたように感じた。

大阪・心斎橋のライブ・ハウス バハマでの、
78年11月5日、12月28日、
79年3月18日
の3回のギグから、数曲ずつと、
79年4月30日の京大西部講堂での
「More Tokyo Rockers Last Live」での4曲、
それに、9月30日の神戸ヤマハでの3曲、
それぞれ、
客席からカセットテープで録音された音源をまとめた、

Aunt Sally『Live 1978-1979』

が、2001年になってリリースされている。

母校の学園祭でのイベントでの、
デビュー・ライブの翌日
78年11月5日バハマでの、
ラモーンズや、パティ・スミスのカバーを含めた、
“PUNK”バンドっぽい演奏から、
僅か1年程度の活動の中で、
唯一無二のカルト・バンドへと進化している。

9月30日のでは、
既にソロとしてリメイクする
「踊りましょう(=終曲)」を演奏している。

神戸ヤマハの後、
10月6日のバハマでのギグを最後に、
バンドは解散する

その後、
フュー坂本龍一のプロデュースのシングル。

CANのメンバーとの海外録音で、
ソロアルバムを発表。

現在でも活躍されている。

ビッケは、
町田町蔵君 “FUNA”
参加していた時期もあった。


ヴァニティからの『Aunt Sally』
オリジナルLPは、400枚限定プレス

84年に、一度だけ、
コジマ録音から再プレスがリリースされたが、

長らく入手が難しい状態が続いていた

2002年になり突然CD化

ボーナス・トラックとして、
1979年3月18日
心斎橋バハマでのライブ音源
が、
3曲収録されている。
(この3曲は、
『Live 1978-1979』には未収録)


Aunt Sally
『Aunt Sally』(1979)

A-1 Aunt Sally
A-2 かがみ
A-3 醒めた火事場で
A-4 日が朽ちて
A-5 すべて売り物

B-1 Essey
B-2 I Was Chosen
B-3 転機
B-4 フランクに
B-5 夢遊の少年
B-6 ローレライ

CD(2002)ボーナス・トラック
1979.03.18 心斎橋 バハマ

12 Aunt Sally
13 Cool Cold
14 ローレライ
『Live 1978-1979』未収録

1979.03.18 心斎橋 バハマ 「Aunt Sally」

Phew(フュー) : Vocals
Bikke(ビッケ) : Guitar
Mayu(マユ) : Keyboards
中岡義雄 : Bass
丸山孝 : Drums

Cover, Photography : 鋤田正義
Producer : 阿木譲

Aunt Sally『Live 1978-1979』
(2001)

1978.11.05 心斎橋 バハマ
01 かがみ
02 Mony Mony
03 すべて売り物
04 電撃バップ
05 My Generation

1978.12.28 心斎橋 バハマ
06 Essay
07 I Was Chosen
08 パノラマ島∼Cool Cold
09 Aunt Sally

1979.03.18 心斎橋 バハマ
10 醒めた火事場で
11 Sha La La ∼ Lolita

1979.04.30 京大西部講堂
「More Tokyo Rockers Last Live」
12 うぬぼれないで
13 いつだって
14 フランクに
15 音楽

1979.09.30 神戸 ヤマハ
16 パラフィン中毒
17 岸辺
18 踊りましょう – 終曲

フュー(Phew) : Vocals
ビッケ(Bikke) : Guitar
マユ(Mayu) : Keyboards
片岡 ; Bass(01 – 08)
中岡善雄; Bass(10 – 18)
丸山孝 : Drums(01 – 15)
小寺祥之 : Drums(16 – 18)

Phew
『終曲(フィナーレ) / うらはら』
(1980 Pass Records)

A 終曲(フィナーレ)

B うらはら

Phew : Vocals. Voice. Noises
坂本 龍一 : Drums. Piano. Voice. Synthesizer

Producer : 坂本 龍一

Phew『Phew』
(1981 Wax Records.
Pass Records)

A-1 Closed
A-2 Signal
A-3 Doze
A-4 Dream

B-1 Mapping
B-2 Aqua
B-3 P-Adic
B-4 Fragment
B-5 Circuit

Producer – Conny Plank, Holger Czukay, Jaki Liebezeit,
Phew, Yoshitaka Goto


V.A.『東京 Rockers』
(1979)

A-1 せなかのコード – Friction
A-2 Cool Fool – Friction
A-3 Exit B-9 – Mr. Kite
A-4 Robot Love – Lizard
A-5 Requiem – Lizard

B-1 Situation – Mirrors
B-2 Tokyoネットワーク – Mirrors
B-3 Innocent – Mr. Kite
B-4 Black Machine – S-Ken
B-5 ああ恋人 ~おお揺れ! 東京 – S-Ken

Friction
レック(Reck) : Bass. Vocals
チコ・ヒゲ : Drums
恒松正敏 : Guitar. Vocals

Mr. Kite
ジーン : Vocals
ワク : Guitar. Vocals
タカシ : Bass
アツシ : Drums

Lizard
モモヨ(管原庸介) : Vocals
カツ(塚本勝巳) : Guitar
ワカ(若林一彦) : Bass
ベル(吉本孝) : Drums
コー(中島幸一郎) : Synthesizer

Mirrors
ヒゴヒロシ(肥後宏) : Drums. Vocals
安藤篤彦 : Guitar. Vocals
松本裕明 : Bass. Vocals

S-Ken
田中唯士 : Guitar. Vocals
増尾元章 : Guitar
江口勝敏 : Bass
ネズミ : Drums

Recorded live at Shinjuku Loft, March 11, 1979

遠藤賢司『東京ワッショイ』
(1979)

A-1 東京退屈男
A-2 東京ワッショイ
A-3 天国への音楽
A-4 哀愁の東京タワー
A-5 続東京ワッショイ
A-6 不滅の男

B-1 ほんとだよ
B-2 輪廻
B-3 UFO
B-4 とどかぬ想い

遠藤賢司 : Vocals. Guitar. Piano
佐藤ミツル : Electric Guitar
山内テツ : Bass
岡井大二 : Drum
佐久間正英 : Synthesizer. Electric Guitar. Bass

Artwork : 横尾忠則

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