穏やかな幻の時間 ブラザー軒

昨今は、喫煙者の立場がますます弱くなり
職場でも、コロナ渦の前までは、
まがりなりにも社員用喫煙スペースが設けられていた。
しかし現在では、すべて撤去されてしまい、
近くの海沿いの公園に設置された、灰皿のあるスペースまで、
足を伸ばさざるを得ない。

たまたま、仕事の休憩時間が遅くなったある夕方。

つい最近までは日も高かった時間も、
今ではもうとっぷりと暮れ、
街灯の薄明かりの中、海辺の公園のベンチ
缶コーヒーを飲みながら一服していると…

秋の虫の声と、船着場からきこえるバンドネオンの調べ。
エッシャーの絵のような木立のシルエット。
ひんやりとした夕暮れの風。

何十年も前から変わっていないであろう
夕暮れの時間
にもかかわらず、
非日常的な空気感に包まれていた。

そして、ふと、近くに何年も前に亡くなった父親を感じた。

そして、時も空間も超えて
子供の頃の私が、そこには居た。

母も妹も祖母も、ごく普通にそこに居て、
2人の帰りを待っているはずの、
今はもう無くなってしまった関西の実家。

その日常的な場所へ、戻る事ができる安心感の中に

2人とも、ただ… 居た。

昭和の吟遊詩人 高田渡。

詩人菅原克己の詩を唄った

「ブラザー軒」

七夕の夜

硝子のキラメキ 風鈴の音色、氷を掻く音、
その光と音が、ふと立ちあげる魔法。

菅原克己自身と思われる「僕」は、
亡くなった父と妹と、同じ時間を過ごすことになる。

高田渡の朴訥な唄は、
あえて「僕」の感情を伝えない。

ただ、死者二人には “声が無く”
「僕」は、彼らには見えない。

そのことに対しての「僕」の気持は、
原詩でも語られておらず
高田渡の「唄」も、その幻の様な有様だけを伝える。

詩人であり、
共産党員でもあった(後に除名される)、「僕」菅原克己

多くのリスペクトを集めながらも、
決してメジャーとはいえない “フォークシンガー” 高田渡。

共に、一般社会からは多少はみ出した立ち位置にいる。

そしてわたし自身も、
なりゆきにまかせて歳だけを重ね
親不孝を絵に描いた様な輩である。

しかし、音や、光や、空気が
気まぐれに立ち上げる、非日常の幻は
そんな “はみ出し者達” にも、
後悔も、自責の念も感じること無く、ただ穏やかに、
その時間の中にいる事を許してくれるのかもしれない。

普段通りの振舞いで、店を出て行く父と妹を見送り、
幻から覚める「僕」。

七夕の夜の魔法を、
淡々と唄い終える高田渡。

わたしも、吸い終わった煙草の火を消し、
現実の世界へと戻っていく。

不思議と穏やかな幸福感に包まれながら…

高田渡 『イキテル・ソング~オールタイム・ベスト~』(2015)

1.この世に住む家とてなく
2.自衛隊に入ろう
3.ごあいさつ
4.自転車にのって
5.おなじみの短い手紙
6.コーヒーブルース
7.系図
8.鉱夫の祈り
9.私は私よ
10.私の青空
11.当世平和節
12.火吹竹
13.フィッシング・オン・サンデー
14.ヴァ-ボン・ストリ-ト・ブル-ス
15.冬の夜の子供の為の子守唄
16.ホントはみんな
17.夕暮れ
18.ブラザー軒(2001 Live)
19.生活の柄

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