パティー・スミス来日 補足?

1996年のパティの劇的なカムバックは、
同時期のセックス・ピストルズのリユニオンと
比較して語られることが多かったように思います。

まあ、そもそもその比較自体が、どうかと思うのですが…

1996年のセックス・ピストルズのリユニオンは、
P.I.Lジョン・ライドン(John Lydon)が、
Sex Pistolsジョニー・ロットン(Johnny Rotten)
演じると言う、ビジネスとして確信犯的な、
エンターテイメント
だったわけで、

アーティストとしての必然性を持った
パティの復活と、一緒にされるのは、

パティの支持者としては、
非常に心外なことでした。

しかし、実はわたしが、
パティの初来日を初めて知ったのは、
何を隠そう、1996年11月16日の、
武道館でのセックス・ピストルズの
リユニオンライブ
だったんです…

仕事関係の知り合いのお誘いで
まあ、お付き合いと言ったノリで、
あまり期待せずに観に行ったわけですが…

当日のライブは、期待にたがわず、
単なる芸能ショーといったものでした。

わたしは全く憶えていなかったんですが、
オープニング・アクトに、ハイロウズが、
ベイシティー・ローラーズのコスプレ(??)で、
こんなことやってたんですね…

この流れで、赤の短パン姿で登場した
“ジョニー・ロットン” は、
コメディアンのようなアクションで、
なかなかに観客をオチョクッてくれてました。

“ジョニー・ロットン” がステージに登場した瞬間に、
わたしは、思わずつぶやいてしまいました…

「なんやこれ ?」

ただ、予定外の大きな収穫が!!

会場の座席の上に置かれていた
このフライヤー!!!!!

「パティが日本に来る!?」

もう、ジョニー・ロットンどころでは無いわけで…

セックス・ピストルズのリユニオン・ライブの内容は、
ほとんど覚えておりませーん!

実は、2003年の2回目の来日ツアーも、
7月16日に観に行っています。

1996年『Gone Again』に続いて、
1997年『Peace And Noise』を、精力的に発表し、
2002年には、夏のフジロックにも参加した後の、
2度目のジャパン・ツアー

2002年のフジロック

会場の赤坂ブリッツのに着くと、
開場前の入り口付近に、
見覚えのある、いかついモヒカンの巨漢が…

かつては高円寺極悪バンクスのドンなどと言われた、
パンクバンドMのギタリストK君と、
奥さんでボーカルのM(あるいはJ)さんと、
バンドメンバー…

彼らもパティーのファンで、
パティー本人やレニー・ケイとも面識があり
パティーの「Rock’n’Roll Nigger」のカバーを
インディーズのシングルで出していたくらいだから、
この場にいるのは当然。

その日は、97年の初来日の会場で知り合った
女友達と一緒だったんですが、
(その頃は、初来日では一緒に観に行って、
「People Have The Power」で涙を流すわたしを横目に、
「なに泣いてんのぉー??」と、あきれていた元妻とは、
既に離婚しておりました…)

正直、彼女も「な…なんで、こんなヤバそうなのと知り合いなの??」
という反応で、かなり引き気味でしたが、
K君の、ゆるーい関西弁と、
見た目に似合わない温厚そうな態度
すぐになじんでいました。

オープニング・アクトとして登場したのは、
JUDA(ユダ)
かなかなにつまらないバンドでした…

そして、パティのステージ
さすがに、97年の初来日の時ほどの感動も無く…

特にこの日は、パティの体調がすぐれない様で、
少々、精彩を欠くライブだったように感じました。

そして、公演は終了。
体調不良のせいで、パティ達の楽屋は、
関係者の鳥井賀句氏さえ、入る事を拒まれたようですが、

どういう訳か、K君達のバンドメンバーは、
パティと、レニーに、楽屋へ遊びにくるように
誘われていました。

で、わたしと女友達は、先に会場を後にして、
友達のお店で、少し飲んでいたところ、
遅い時間になって、K君が一人でふらふらとやってきまして、

開口一番、ボヤキ…

「もぉー、ゆうてることが、ほんまにフツーのオバアチャンやねん!」
「おんなじことばっかりゆうてぇー。なにがモスラバーガーやねん…」
「なんであんなオバアチャンに夢中になっとったんやろ?!」

オバアチャン…って…
当時パティは50代後半にさしかかるくらいの歳。
オバアチャン…は、ちょっと失礼かも?

日本の街中で見かけた「モスバーガー」のネーミングが、
よほどお気に召したのか、確かにステージでも何度も
「モスラバーガー」って繰り返してたけど…
(英語圏の人たちにとっては、語感も含めて、
かなりインパクトがあったのかも?)

この日は、体調面でも弱ってたし、
K君達は運悪く、パティのテンションがダウンしていた時
出くわしてしまったのかもしれない。

K君の気持ちも解るけど…
歳をとることは避けられないし、
歳とともに重ねた体験によって、
表現するべきものも、表現の仕方も変化するのは当然だし、
実際、パティも変化してきたわけだし。

その歳なりの表現ができている事が大事なのかも?

それに、表現の場といえるステージを離れて、
オフの時までアーティスト然とされてても
疲れるだけでしょ…

ちなみに、翌日の17日のライブは、
初日と違って、かなりパワフルになっていた様です。

17日に行けば良かった…

1959

2003年 2nd Japan Tower

Lenny Kaye : Guitar
Oliver Ray : Guitar
Tony Shanahan : Bass
Jay Dee Daugherty : Drums

  • 7月11日 名古屋クラブクアトロ
  • 7月13日 福岡ドラムロゴス
  • 7月14日 大阪難波ハッチ
  • 7月16日 赤坂ブリッツ
  • 7月17日 赤坂ブリッツ

『Peace And Noise』(1997)

01 Waiting Underground
02 Whirl Away
03 1959
04 Spell
05 Don’t Say Nothing
06 Dead City
07 Blue Poles
08 Death Singing
09 Memento Mori
10 Last Call

Patti Smith : Vocals. Acoustic Guitar. Clarinet(04)
Lenny Kaye : Acoustic Guitar. Electric Guitar.
Bass(01). Pedal Steel Guitar(07)
Oliver Ray : Acoustic Guitar. Electric Guitar. Resonator Guitar(10)
Tony Shanahan : Bass. Piano(01). Drums(10)
Jay Dee Daugherty : Drums. Organ(05). Harmonica(07). Bass(10)
Luis Resto : Keyboards

Michael Stipe : Backing Vocals(10)

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