70年代・関西フォーク~関西ロックシーン ④

大阪のギタリスト・石田長生さんは、
1972年上田正樹佐藤博藤井裕土居ベーカー正和
バッドクラブバンド を結成。
ウェストロード B.B. 等と共に活動していたとの事です。
(さすがにこの時期の バッドクラブバンド の演奏は、
わたし自身は体験できませんでした。)

1973年から74年にかけて、ディランⅡ周辺とのセッション、
金森幸介安田南加川良 等のバッキングや、
佐藤博田中章弘林敏明 とのバンド THIS (ディス)として、
関西でのライブでは頻繁に演奏を拝見していました。

端正なルックス口髭
渋めで、でしゃばりすぎないギター
当時の印象は、とにかく…

 「かっこええなぁー!!」

74年加川良のアルバム『アウト・オブ・マインド』の製作時に、
鈴木茂とハックルバックへ、
佐藤博、田中章弘、林敏明 の3人を引き抜かれた後、
75年には、単身で渡米されていたようです。

帰国後、
毎年夏、万博記念公園でヤマハが主催する
アマチュアバンドのコンテスト “8.8 Rock Day” のゲストで、
元ウェストロード B.B.の 山岸潤史 をメインにした、

 山岸潤史スーパーグループ
 のメンバーとして登場。

当日のメンバーは、

山岸潤史(ギター) 石田長生(ギター) 北京一(ボーカル)
永本忠(ベース) 土居ベーカー正和(ドラム) チャールズ清水(キーボード)

大阪の手品師でコメディアンの ゼンジー北京 の弟子で
“京一・京二” のボケ担当北京一ボーカルというより漫談のバックで、
ジミ・ヘン風のソロとパフォーマンスで、山岸潤史のギターが暴れまわる… 
というトンデモナイバンド!!

毎回発売される “8.8 Rock Day” のライブアルバムには、
「ストーン・ジャンキー」「かたつむり」の2曲が収録されました。
まあ… かなりのイロモノなんですが、
充分に当時のギター少年達(わたしも含め)を興奮させるものでした。

その後、このメンバーに
元コールドラビッシュの、砂川正和(ボーカル)
元サウス・トゥー・サウスの、国分照幸(キーボード)
を、加えたバンドが、

 ソー・バッド・レビュー !!

ウエストロード B.B.サウス・トゥー・サウス
THISアイドル・ワイルド・サウス それぞれのバンドから、
関西の名うてのプレーヤーが集結したスーパーグループと言われ、
スタジオ・ミュージシャンとして、レコーディングに参加することも多く、
西の ティン・パン・アレー とも言われていました。

しかし… 
東の本家 ティン・パン・アレー洗練された都会的な音づくりと比べて、
なんとも泥臭く、黒っぽく、ファンキーで、いなたくて… 
いかにも関西(大阪)という音でした。

こういった成り立ちのグループの常ですが…
やはり、ソー・バッド・レビュー も、
活動期間2年弱という短命のグループでした。

スタジオ盤ライブ盤、それぞれ1枚ずつ残していますが、
活動期間中の75年に、オレンジレーベルから発売されたのが、
L.A.録音唯一のスタジオアルバム

 『Sooo Baad Revue』

L.A.録音に際して、レコード会社が出した条件は、

 全曲 日本語の歌詞オリジナル曲、という2点

その シバリ の中で製作されたこのアルバム。
楽曲自体の、目指しているところも解かるし、
ブルース・ソウル・ファンク系のツボもおさえているんですが…

メンバーそれぞれの、
バラバラなバックグラウンド無理にまとめ上げた事で、
アルバムとしての統一感が無く
どうしても散漫な印象の作品になっていた事は否めません。

また、北京一さんが歌う曲以外、歌詞が標準語というのもシックリきませんでした。
どうせなら、全編コテコテの関西弁で通した方が、
石田長生、砂川正和 両氏のボーカルも生きたのではないかと思います。

特に、コールドラビッシュ時代英語詞のカバー曲での、
砂川正和さんのボーカルが、あまりに強烈に印象に残っていただけに、
きどった標準語の歌は、せっかくの個性を殺してしまった様にも感じます。

ソー・バッド・レビュー解散後石田長生さんは、

元サウス・トゥサウスの、藤井裕(ベース)、中西康晴(ピアノ)
元ウエストロードB.B.の、松本照夫(ドラム) 元チャクラの、近藤達郎(キーボード) と、

 GAS(ガス) というバンドで再始動

たしか天王寺野音での最後の春一番でも観ているので、
78年の春ころから活動を始めていたはずです。
(その頃には、中西康晴が抜けて、4人編成になっていました)

結局、アルバムは出ないまま解散してしまった様です。

結成当初の編成から見ても、ザ・バンドを意識していたようで、
「The Weight」のカバーも演奏していました。
特に、「ムーチョ・アミーゴ」という曲が耳に残っているんですが
シングル盤出てたのかも??

その後80年代になってからは
ボイス・アンド・リズム
Charとのデュオ馬呆(BAHO)
何枚かのソロ・アルバム… と、
断片的に、耳にする程度の聴き方になっていました…

2014年には、フジロックフェスで、

 ソー・バッド・レビュー 一日限りのリユニオン!!

すでに、砂川正和さんは亡くなられていたようですが、
70年代と変わらず、若々しい石田長生さんの姿を、ネット動画で拝見し、

 「あいかわらす、かっこええ人やなぁー!!」…

それが、まさか… その1年後に…

2015年の夏
大阪出張の帰りの新幹線の中で、仕事も終わってビールを飲みながら、
たまたま、その日に買ったレコードコレクターズ誌を眺めていた時。

 訃報のページに、なんと石田長生さんの名前が!!!

 「えっ!! なんで?? 嘘やろ…」

ちょうどその年の夏に、横浜の赤レンガ倉庫で、
70年代の音楽関連のイベントが予定されていて、
それに連動して発行された、関西のフリーペーパーに、
石田長生さんが、メインでコメントを書いておられたので、
「もしかしたら、横浜でのイベントにも出演されるかも?」
などと思っていた矢先でしたので…

その年の春から、ずっと癌との闘病中で、
7月8日に、お亡くなりになっていたそうです…

2012年亡くなった佐藤博さんもそうですが、
お二人とも、

 「早すぎますよぉー…」

たしかに… 自分自身が還暦を過ぎたこの年になると、
若いころから憧れていたアーティスト達は、
当然60代以上になっているわけで、
すでに鬼籍に入られた方も多数いらっしゃいます。

海外では、
Frank Zappa、Gregg Allman、Lou Reed、
Levon Helm、David Bowie、MotorheadのLemmy
 …

国内では、早くして亡くなった
江戸アケミ、篠田昌巳、北村昌士、山口冨士夫、
大瀧詠一、高田渡、浅川マキ、塩次伸二、
ここ数年では、
加川良、内田裕也、シーナ、遠藤賢司、遠藤みちろう
 …

(敬称略)

どの方の訃報に接しても、ショックなのはもちろんですが、
その時々の自分自身の立場心の状態によって、
受け止め方は様々でした。

石田長生さんの場合は、

子供の頃に、あんまり話したこともないけど、遠目から
「かっこええなぁー」と憧れていた近所のオニイチャンが、
突然いなくなってしまったような…
そんな、不思議な寂しさが有りました。

多分あっちでも、後から来られる歌い手さんたちをつかまえては、
佐藤博さんのピアノと一緒に
あの70年代初めの頃の様に、渋くてかっこええブルース
演ってはるんでしょうね…

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